多摩川住宅整備事業の取組
多摩川住宅の公社住宅跡地を活用した商業施設及び広場の整備
令和6年5月13日更新
多摩川住宅は、東京都住宅供給公社の賃貸住宅及び5管理組合による分譲住宅で構成される大規模住宅地(約3600戸)になります。当住宅では「多摩川住宅街づくり協議会」が設立され、将来の街づくりの方向性の検討を進めており、平成29年9月に調布市・狛江市により都市計画(一団地の住宅施設の廃止及び地区計画の策定)が決定されました。
当社では、多摩川住宅ロ-16号棟の跡地を有効活用し、多摩川住宅の中心地として、賑わいづくりの拠点となる商業施設及びコミュニティの核となる広場の整備を計画しています。
商業施設整備事業者については、平成28年5月に生活協同組合コープみらい及び大和ハウス工業株式会社を事業予定者として決定し、令和4年12月に埋蔵文化財発掘調査を終え、令和5年3月から事業者により建設工事が進められていましたが、令和6年3月19日に「コープ調布染地店」が無事オープンいたしました。
現在、商業施設の隣に計画している広場については、当社でその整備に向けて準備を進めています。
商業施設の整備に伴う埋蔵文化財発掘調査について
埋蔵文化財とは
埋蔵文化財とは遺跡、遺構、遺物といった土地に埋蔵されている文化財のことで、地域固有の歴史と文化を物語っており、その成り立ちを理解するうえで豊かな情報を提供してくれる貴重な歴史的遺産です。近年、考古学やそのほかの幅広い分野の研究の進展により文化や学術の情報資源として重要性が一層高まっています。
次に、当商業施設の整備地で行われた、埋蔵文化財(染地遺跡)発掘調査について詳しくご紹介します。
商業施設の整備地における埋蔵文化財「染地遺跡」とは
染地遺跡は多摩川中流地域の左岸の沖積低地に位置し、縄文時代の晩期を最も古い時期として、主に古墳時代、奈良・平安時代の集落があった遺跡と考えられています。
平成2年の染地遺跡第21次調査(他街区)では、弥生時代の竪穴住居、古墳時代の竪穴住居、そのほか弥生時代後期の土器片も多数出土しており、集落の開始時期としては弥生時代後期にさかのぼることが明らかとなっています。(調布市埋蔵文化財年報)
また、古くから交通の要所であった可能性が高い地域と考えられており、寺院の存在や遠方との繋がりも想定されています。
今回の発掘調査でわかったこと
地表面から1.6m 前後の深さまで掘ると、縄文時代・古墳時代・古代・中世・近世の遺物がほぼ同じ位置から見つかっています。
通常は、新しい時代のものほど浅い場所で、古い時代のものほど深い場所で見つかるため、この遺跡における遺物の出方はやや特殊と言えます。
この現象の原因は、遺跡の場所と関係があるのかもしれません。おそらく、近くを流れる多摩川などの河川が増水した際、何度かこの辺りは水に浸かったと考えられます。
そのときに、水の力で土がかき混ぜられ、様々な時代の遺物が一緒になってしまった可能性があります。
また、地表面から約1.7m 掘り下げたところには古墳時代中期の竪穴式住居が灰白色土を掘り込む形で造られていました。
そして最近の調査で、この灰白色土を覆土とする古墳時代前期の遺構が出てきたのです。おそらく、古墳時代前期、中期にかけてのいずれかの時期に増水があり、その際に灰白色土が流れ込んで堆積して、古墳時代前期の竪穴式住居などを埋没させたものと考えられます。
今回の発掘調査で見つかった遺構や出土品
竪穴式住居、炉やカマドの遺構、祭祀に関係する小銅鐸やその他遺物が大量に出土しました。
多摩川住宅商業施設建設に係る埋蔵文化財発掘調査
調査区割および調査位置図S=1/800
■これまでの調査で見つかった遺構

▲ 写真の上半分側には古墳時代の竪穴式住居や竪穴状遺構が分布し、下半分側には旧河道が見えています
A. 2号竪穴式住居B. 3号竪穴式住居
C. 4号竪穴式住居(写真2)
D. 5号竪穴式住居(写真1)
E. 6号竪穴式住居
F. 7号竪穴式住居
G. 2号竪穴状遺構
H. 3号竪穴状遺構(写真5)
I. 4号竪穴状遺構(写真3)
J. 5号竪穴状遺構(写真4)
K. 3号溝状遺構
L. 4号溝状遺構
炉やカマドの遺構
弥生時代までは地面に平面上に火を焚く場として炉が使用されていましたが、古墳時代に朝鮮半島からカマドが伝わりました。カマドには火の回りに覆いがあり、炉に比べて強い火力を得ることができるようになったのです。
(写真1)5号竪穴式住居では炉が確認された
(写真2)4号竪穴式住居にはカマドが備え付けられていた
五徳状のものを伴う炉(イメージ)
5号竪穴式住居(写真1)の炉には、焼けた土の塊が放射状に並ぶ形で乗っていました。もしかすると、この土の塊は、いわゆる五徳のように使われていたのかもしれません。
炉とカマドはどう違う?
炉には、地面の上で焚いた火を覆う構造物がありません。火を焚く場所の周りに石を並べたり、地面を掘り窪めたりして造られています。中には火の下に当たる部分に石を敷いているものもあります。
カマドは、火を覆う形で粘土をドーム状にもりあげて造ります。火を焚く「焚き口」、煮炊きに使う甕を置く「かけ口」、煙を住居の外へ逃がすための「煙道」といった構造を備えます。
(イメージ写真1)東京都埋蔵文化財センターの遺跡庭園にある縄文時代の復元住居内に設けられた炉
(イメージ写真2)東京都埋蔵文化財センターで開催されたカマド作り教室で復元されたカマド
大量に出土する遺物
染地遺跡の竪穴状遺構(※1)からは、遺物が大量にまとまって見つかることが度々あります。その中には、高坏(※2)や石製模造品が含まれているため、古墳時代の人々が行っていた祭祀に関係する遺物である可能性が考えられます。
※1 竪穴状遺構:地面を堀り窪めた構造物の跡で住居以外のもの
※2 高坏(たかつき):台がついた皿のような形状で、物を盛るために使われたと考えられる。
※3 土師器(はじき):古墳時代から奈良・平安時代まで生産された素焼きの土器。
鏡を模して造られたもの
竪穴状遺構の中やその近辺で、有孔円盤と呼ばれる石製模造品の一種が出土しています。
有孔円盤は、円状の扁平な石に穴を1から2つ空けたものです。その形状から、いわゆる三種の神器の鏡を模して造られたものと考えられています。
全国でも珍しい小銅鐸の出土
小銅鐸と呼ばれる、銅鐸のミニチュアが1点見つかりました(写真6)。
小銅鐸は全国でも60点ほどしか出土されていない貴重な出土品で、都内での発見は本資料で3例目となるそうです。
しかも今回は、錆びずに赤銅色を保った状態で出土しました。
通常こういった金属製品は、地中で腐食して失われてしまうのですが、染地遺跡の場合は低湿地に位置していることが幸いし、害虫や酸化から出土品が守られていたようです。
弥生時代の銅鐸を、小さくした形状の青銅製品です。
断面が扁円(へんえん)形の釣鐘型をしたベルで、高さ3から14センチ、上部に半円形のつまみをもち、両側に鰭(ひれ)をもつものもあります。
大き目の小銅鐸は、中に吊り下げた舌(ぜつ)と呼ばれる棒状のものと本体が触れ合って音が鳴るベルで、農耕祭祀に使われたと考えられています。
今回発見されたものは極めて小さいことから、銅鐸のミニチュアのさらにミニチュア(銅鐸の孫?!)と呼べるものです。